大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(ネ)2119号 判決 1970年1月28日

控訴人 附帯被控訴人 時田正夫(仮名)

被控訴人 附帯控訴人 時田芳夫(仮名) 外三名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴にもとづき、附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人(被控訴人)らに対して、別紙目録記載の各物件のうち、(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)の土地につき各一五分の二の共有持分(相続分)の移転登記手続をせよ。

その余の附帯控訴にもとづく請求はいずれも棄却する。

三  当審における訴訟費用は二分し、その一を控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、その余は被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下、控訴人という。)代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決、附帯控訴につき、附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人ら(附帯控訴人ら。以下、被控訴人らという。)代理人は、控訴棄却の判決、附帯控訴として、「原判決を次のとおり変更する。一、亡時田松男の遺産につき被控訴人らが各一五分の三の相続分を有することを確認する。二、控訴人は被控訴人らに対し別紙目録記載の各物件につき各一五分の三の相続分による持分権(相続分)の移転登記手続をせよ。三、訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決七枚目裏一、二行目に、「同(一二)は、被告が昭和三七年一二月に、同(一三)は、被告が昭和三五、六年頃に、同(一四)は」とあるのは、「同(一二)のうち、倉庫一棟は被告が昭和三七年一二月に、浴室一棟(付属建物)は被告が昭和三五、六年頃に、同(一三)は」の、一一枚目裏四、五行目に、「原告本人尋問の結果」とあるのは、「原告時田芳夫本人尋問の結果」の明らかな誤りであるので、これを更正する。)

(控訴人代理人の陳述)

一  仮に原審で主張した贈与または遺産分割協議成立の抗弁が認められないとしても、昭和二七年六月ころ亡時田松男の相続人たる時田清子および被控訴人らは各自の有する相続分を控訴人に対して譲渡した。すなわち、亡松男の妻清子は事実上長男と同じ立場にある控訴人と同居して扶養され一切の面倒をみてもらつていたところから、また被控訴人らは松男の遺産が農地であつて、当時はその地価も比較的安く、控訴人だけが家業たる農業経営を継承していたところから、それぞれ右遺産についての相続権を控訴人に譲渡(贈与)し、その遺産につき控訴人が自己名義に相続登記することを承諾したものである。

二  被控訴人らの本訴請求は相続回復の請求であるところ、右請求権は民法第八八四条により相続人またはその法定代理人が相続権を侵害された事実を知つた時から五年間これを行なわないときは時効によつて消滅すべきものとされている。本件訴訟は被控訴人時田芳夫において昭和三八年七月一九日に、被控訴人時田宏子、山崎愛子、広瀬澄子において同三九年一月二九日にそれぞれ提起しているのであるが、被控訴人時田芳夫については昭和三三年七月一八日以前、その他の被控訴人については昭和三四年一月二八日以前に本人あるいはその法定代理人が、(イ)被相続人松男死亡の事実、(ロ)松男名義の不動産が控訴人の所有名義に移つたこと、(ハ)自分も相続人の一人であること、および自己の相続権が侵害された事実を知つていたから、被控訴人らの相続回復請求権はいずれも時効の完成によつて消滅している。

三  被控訴人らは、共同相続人間では相続回復請求に関して時効を援用することは許されないと主張するが、これを争う。民法第八八四条は、真正の相続人に対して相続財産を一括して回復することができる便宜を与える反面、この請求権を短期間で消滅時効にかかるものとして、相続関係ならびに第三者との法律関係を早く確定させる趣旨のものである。現行法において相続回復請求の相手方は表見相続人以外に共同相続人中の一人である場合を生じていることは被控訴人らの指摘するとおりであるばかりか、むしろそのような事例が相続回復請求事件の大半を占めているものと思われる。しかして、被控訴人らの主張は、相続回復の被請求者が表見相続人である場合には五年間の消滅時効の援用を許されるが、被請求者が共同相続人中の一人である真正相続人の場合には右時効の援用が許されないとするのである。しかし、そうだとすると、遺産につき部分的であるにせよ権利を有する真正相続人が元来まつたくの無権利者である表見相続人よりも保護されないという結果を招来し、その不合理なことは明らかである。相続権の侵害者たる真正相続人は自己の相続分を越える部分については無権利者であることにおいて表見相続人の地位と何ら変るところはないのであるから、この点からも五年の時効援用権の有無を区別すべき理由はない。もし真正相続人につき五年の時効の援用を認めないとすると、他の真正相続人は二〇年の除斥期間が経過するまで何時でも相続回復請求ができることとなるが、法律がそれほどまで権利のうえに眼る者の保護を厚くしているものとはとうてい考えられない。したがつて、被控訴人らの所論はいずれにしても失当である。

四  被控訴人らが附帯控訴として主張する事実のうち、時田清子が亡松男の妻であつて、主張の日に死亡したこと、控訴人および被控訴人らがいずれも主張のとおりの身分関係があり、たけの相続人であることは認めるが、その余の事実は争う。

(被控訴人ら代理人の陳述)

一  控訴人の当審における仮定抗弁事実は否認する。該抗弁は昭和二七年当時被控訴人らが松男の遺産について相続分を有したことを認識していたことを当然の前提とするものであるが、その前提自体が理由のない主張であるのみならず、右抗弁は時機に遅れた攻撃防禦方法であるから、却下されるべきである。

二  控訴人は抗弁として、相続回復請求権についての時効を援用するけれども、共同相続人たる被控訴人らとの間では右時效を援用することは許されない。民法第八八四条は旧法第九六六条と同旨の規定であるが、旧法当時における相続制度は家督相続(単独相続)であつたから、相続回復請求を受ける相手方は相続権をもたない表見相続人に限られていたのに対し、現行法では相続回復請求の相手方は表見相続人以外に共同相続人中の一人である場合を生ずるにいたつた。後者の場合、すなわち共同相続人間で相続回復請求がなされる場合は、いわば遺産の公平な分配の問題であつて、本件はまさにこれに該当し、共同相続人中の一人のみの利益の保護は、公平な分配の原則の前に一歩を譲るべく、共同相続人中の一人が他の相続人の相続回復請求の時効消滅を主張して、自己のみが遺産を独占することは許されないところである。

三  附帯控訴の理由として、(1)時田清子は亡松男の妻として同人の遺産につき三分の一の相続分を有していたところ、昭和四一年八月三一日死亡し、その実子たる控訴人および被控訴人ら(ただし被控訴人宏子は清子の実子亡時田雄吉の子)の五名が清子の右相続分をそれぞれ五分の一の割合で相続したので、被控訴人らは結局松男の遺産につき各自一五分の三の相続分を有することになつた。(2)また被控訴人らは、原審において、相続分の確認を第一次的請求として、相続分移転登記手続の履行を予備的請求として主張したが、当審においては、右両請求を並列的に主張し、かつ、請求の趣旨を前記のとおり拡張するため、本件附帯控訴におよんだ。

(証拠の関係)

被控訴人ら代理人は、甲第二号証を提出し、当審における被控訴人時田芳夫、山崎愛子、広瀬澄子各本人尋問の結果を援用し、後記乙号証のうち、乙第二七号証、第三三号証の一、二の成立は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べ、控訴人代理人は、乙第二七号証、第二八号証の一ないし五、第二九ないし第三一号証の各一、二、第三二号証、第三三号証の一、二を提出し、当審における証人目黒元一、小川常子の各証言および控訴本人尋問の結果(第一、二回)を援用し、甲第二号証の成立を認めた。

理由

一  時田松男が昭和二四年八月二三日に死亡し、その相続人が同人の妻時田清子、二男控訴人、三男被控訴人時田芳夫、四男亡時田雄吉の長女被控訴人時田宏子、二女被控訴人山崎愛子、三女被控訴人広瀬澄子の六名であることは当事者間に争いがない。

二  被控訴人らは、亡時田松男の遺産(その範囲については後に説示する。)につき各一五分の二の相続分を有すると主張するところ、控訴人は右相続分は存在しないと抗争するので、これを検討する。

(1)  控訴人はまず、昭和一六年頃松男がその所有に属する全財産を控訴人に贈与したと主張する。そして、原審証人時田清子、時田文子の各証言および原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果のなかには右主張に副う供述があり、また成立に争いのない乙第一ないし第一一号証には、松男所有名義の宅地建物につき、同人の生存中の昭和二三年四月二一日に同年同月一〇日付の贈与を原因とし、あるいは同年同月二七日に同年同月二〇日付の贈与を原因として、それぞれ控訴人のため所有権移転登記が経由された旨の記載があり、さらに成立に争いのない乙第二八号証の一ないし三には、昭和一七年二月一六日と同年六月二三日の両日に控訴人名義で各金一、〇〇〇円が特別当座預金口座に振り込まれた旨の記載がある。しかし、前記各供述は原審証人目黒昭夫、山崎愛子、広瀬澄子(上記両名は当審被控訴人)の各証言、原審および当審における被控訴人時田芳夫各本人尋問の結果、当審における被控訴人山崎愛子、広瀬澄子各本人尋問の結果に徴するときは、にわかにこれを措信することができず、また前記各書証も、それにより控訴人が昭和一六、七年頃松男からその所有にかかる宅地建物の一部について贈与を受け、事実上の世帯を委れていたことを推認しうるにとどまり、これをもつて控訴人が松男から本件遺産を含む全財産の贈与を受けた事実を肯認しうる証処とすることはできず、成立に争いのない乙第二八号証の一ないし五、第二九ないし第三一号証の各一、二、第三二号証も右と同じく控訴人が戦後間もない頃も引き続き事実上の世帯主として家計の中心的存在であつたことを首肯しうるにとどまり、右抗弁事実を認めるに足る的確な証処とすることはできず、他にこれを認めうる証拠はない。それ故、控訴人の右抗弁はこれを採用することができない。

(2)  次に控訴人は、被控訴人らを含む松男の全相続人との間に昭和二七年七月八日遺産分割の協議が成立したと主張する。ところで、控訴人は右分割協議成立の結果、被控訴人らおよび時田清子、控訴人の全相続人が遺産分割協議書(甲第一号証の一)を作成したものであるとし、右協議書の成立過程が前記抗弁事実の成否に関して重要な意味をもつので、これについて判断する。右甲第一号証の一のうち、控訴人および時田清子の作成部分および被控訴人ら名下の各印影がいずれも被控訴人ら(ただし、被控訴人宏子については、その親権者たる時田京子。以下これに同じ。)の印章によつて顕出されたものであることは当事者間に争いがないけれども、それが被控訴人らの意思にもとづいて押捺されたとの点については、原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果が存在するだけであるが、該供述は後記各証拠と対比するときはたやすく信用することができず、他にこれを肯認しうる証拠がなく、かえつて原審証人上田京子、原崇、三沢邦子、時田洋子、山崎愛子、広瀬澄子の各証言および原審ならびに当審における被控訴人時田芳夫各本人尋問の結果、当審における被控訴人山崎愛子、広瀬澄子各本人尋問の結果を総合すると、右被控訴人らの印影は、控訴人が被控訴人らに対し亡松男の遺産についての前記甲第一号証の一に記載のような遺産分割内容の協議および同協議書作成のことを告げず、他の理由を設けて被控訴人らよりその印章を借り受けて押捺顕出したものであり、前記協議書のうち被控訴人らが作成した形式になつている部分はいずれも被控訴人らが作成したものでなく、控訴人が被控訴人らの同意を得ることなく作成したものであることが認められる。したがつて、前記甲第一号証の一は、これをもつて控訴人の主張するごとき遺産分割協議の成立した事実を立証する証拠資料とすることはできない。しかして、控訴人の遺産分割協議成立の主張については、原審証人目黒昭夫の証言および原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果のなかに右主張に符合する部分があるが、該部分は後記各証拠と対比するときはとうてい信用できず、他にこれを認めるに足る証拠がなく、かえつて前示甲第一号証の一の作成過程として認定した事実に原審証人上田京子、時田洋子、山崎愛子、広瀬澄子の各証言および原審ならびに当審における被控訴人時田芳夫各本人尋問の結果、当審における被控訴人山崎愛子、広瀬澄子各本人尋問の結果によると、被控訴人らと控訴人らとが遺産分割の協議をなし、その間に控訴人主張のごとき協議の成立しなかつたことが認められる。されば控訴人の前記抗弁もまた失当というほかはない。

(3)  控訴人はまた、昭和二七年六月頃被控訴人らを含む亡松男の全相続人より各自の相続分の譲渡を受けたと主張する。(イ)これに対して、被控訴人らは右主張は時機に遅れた攻撃防禦方法であるとして却下を求めるのでこれを審案する。本件控訴が提起されたのが昭和四二年二月一七日であり、控訴人が同年六月二八日付、当庁同日受付の準備書面をもつて右主張の記載のある書面を提出したこと、本件第一回口頭弁論期日が右同日に開かれたが被控訴人ら代理人の不出頭によつて延期となり、ついで同年九月二〇日に開かれた第二回口頭弁論期日に前記準備書面が陳述されたことは当裁判所に顕著な事実である。しかして、本件における前記審理の過程からみて、控訴人の前記新主張によつて、従前の主張に対する審理のほか特別な立証などを必要とするものとは考えられず、そのため訴訟の完結を遅延させるものとも認められないから、被控訴人らの右申立は採用の限りでない。(ロ)そこで進んで本案についてみるに、(a)前に(2)において認定した事実に前示甲第一号証の一、原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果の一部(後記措信しない部分を除く)ならびに本件弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は昭和二七年六月頃○○○○株式会社に対して土地を売却するに際し亡松男名義になつている遺産を自己の所有名義に登記したいと考え、松男の相続人たる被控訴人らに対し、その理由を明らかにしないで、右登記手続に必要な印鑑および印鑑証明書の提供を受け、昭和二七年七月八日付の遺産分割協議書(甲第一号証の一)を作成したが、被控訴人らとの間に右協議書の記載に副う協議が成立していないこと。しかし右の手続を進めるに際し、控訴人は昭和二七年六月頃従前より同居中の母時田清子に対して、亡松男名義の遺産全部を自分の所有名義にし、その登記をしたいと述べたところ、同人は老令であつて控訴人の世話になつて生活していたところから、控訴人の右申出を承諾し、かつ、登記に必要な印鑑および印鑑証明書の使用を許諾したため、控訴人において所要の手続を経たうえ、その後間もなく亡松男の遺産につき自己名義の所有権移転登記手続を経由したことが認められ、右認定に反する原審証人目黒昭夫の証言および原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の結果はいずれも信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によると、時田清子は昭和二七年六月頃控訴人に対し亡時田松男の遺産についての相続分を譲渡(贈与)しその履行を完了したものというべきである。(b)次に他の相続人たる被控訴人らとの関係についてみるに、前示甲第一号証の一、原審証人目黒昭夫の証言および原審ならびに当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果のなかには、控訴人主張の事実に一部符合する部分があるが、右書証および供述部分は前に遺産分割協議成立の抗弁を排斥したと同一の証拠および理由によつてこれを措信せず、他に右主張事実を認めるに足る証拠がない。してみれば、控訴人の前記抗弁もまた理由がないものといわねばならない。

(4)  控訴人はさらに、本件は相続回復請求であるところ、該請求権は民法第八八四条の定めるところにより五年間の時効によつてすでに消滅したと主張する。民法第八八四条に定める相続回復請求権の短期消滅時効は、相続人またはその法定代理人が相続権を侵害された事実を知つた時を起算点として進行するのであるが、共同相続の場合に右にいわゆる相続権侵害の事実を知つた時とは、相続人が自己も相続人の一人であることを認識し、しかも自己が相続から除外されていることを認識した時と解すべきである。これを本件についてみるに、原審および当審(第一、二回)における控訴本人尋問の各結果のなかには、遺産分割協議および同協議書(甲第一号証の一)作成の際、被控訴人らに相続に関する事実を告げた旨の供述部分があるが、該部分を信用できないこと前示のとおりであり、他に被控訴人らが松男死亡当時およびその後に右の点を認識していたことを肯認しうる証拠がなく、かえつて原審証人上田京子、時田一美、時田洋子、山崎愛子、広瀬澄子の各証言および原審ならびに当審における被控訴人時田芳夫各本人尋問の結果、当審における被控訴人山崎愛子、広瀬澄子各本人尋問の結果によると、被控訴人芳夫、愛子、澄子は松男の死亡当時はもとより、昭和二七年当時も自分たちに相続権があること、および自己が相続から除外されていることを知らず、昭和三七年頃になつてはじめてこれを知つたこと、被控訴人宏子の親権者上田京子は松男が死亡したことでさえ昭和三四、五年頃上京したときにはじめて知つたものであることが認められる。そうだとすれば、本訴の提起された日(被控訴人時田芳夫の訴提起が昭和三八年七月一九日、その余の被控訴人らの訴提起が同三九年一月三一目であることは当裁判所に顕著な事実である。)より五年を超える前に被控訴人らが相続権を侵害された事実を知つたものということはできず、控訴人の前記時効の抗弁も失当たるを免がれない。

三  以上に説示したごとく控訴人の抗弁はいずれも理由がなく、被控訴人らは亡松男の子または死亡した子の直系卑属として、その遺産につき各自一五分の二の相続分を有するところ、控訴人において被控訴人らが右相続分を有するのを争つていることは当事者間に争いがないから、被控訴人らは控訴人に対し右相続分を有することの確認を求める利益をもつということができる。

四  そこで次に被控訴人らの附帯控訴請求について検討する。

(1)  相続分の確認請求について

亡時田松男の妻時田清子が昭和四一年八月三一日に死亡したこと、控訴人および被控訴人らが右清子といずれも主張のとおりの身分関係にありその相続人であることは当事者間に争いがない。

被控訴人らは時田清子が亡松男の妻として同人の遺産につき三分の一の相続分を有しており、清子の死亡によつて被相続人らは右遺産に関して各自一五分の一の相続分を相続したと主張するのであるが、時田清子が昭和二七年六月頃控訴人に対し亡松男の遺産についての相続分を譲渡(贈与)し、その履行を完了したことは前に説示したとおりである(前掲、二・(3)・(ロ)・(a)参照)。そうすると、被控訴人らは亡清子より松男の遺産に関しては相続すべき何ものもないのであるから、右主張はその余の点につき判断するまでもなく、失当というべきである。

(2)  遺産に対する相続分移転登記手続請求について

被控訴人らは、控訴人に対して、別紙目録記載の各物件につき各一五分の三の相続権を有することを前提とし、その移転登記手続を求めるのでこれを審究する。(a)亡松男が右物件のうち、(一)、(二)、(五)、(六)、(一〇)、(一一)の土地を所有していたことは当事者間に争いがない。同(三)、(四)、(七)、(八)の土地は、これが亡松男の遺産であつたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて成立に争いのない乙第一四、一五、一八、一九号証によれば、控訴人が昭和三四年四月頃交換により訴外池末美奈子より取得したものであつて、その地目、面積とも主張の土地とほとんど合致していないことが認められる。同(一二)、(一三)の各建物を控訴人が松男の死亡後に建築したものであることは当事者間に争いがなく、被控訴人らは右は松男の遺産を処分して建築したものであるから、当然松男の遺産の代位物として遺産の一部に含まれると主張するが、右の各建物がその主張のごとく松男の遺産を処分して建築したものであることを認めうる証拠がないから、これを右遺産の一部に属するものとみることはできない。(b)被控訴人らが亡松男の遺産たる物件につき各一五分の二の相続分を有するにすぎないことは前に説示したところである。(c)してみると、被控訴人らの前示請求のうち、別紙目録記載の各物件のうち、(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)の土地につき各一五分の二の相続分の移転登記手続を求める部分は理由があるが、その余の部分は失当というほかはない。

五  よつて、被控訴人らが亡時田松男の遺産につき各一五分の二の相続分を有することの確認請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がなく、附帯控訴は右に述べた限度で理由があるのでこれを認容し、その余の部分はいずれも失当として棄却を免がれず、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 多田貞治 裁判官 上野正秋 岡垣学)

参考 原審(千葉地裁 昭四二・一・三〇判決)

〔原告〕 時田芳夫(仮名) 外三名

〔被告〕 時田正夫(仮名)

主文

原告らがいずれも亡時田松男の遺産につき、各一五分の二の相続分(持分権)を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

(第一次的請求)

亡時田松男の遺産につき、原告らが各一五分の二の相続分(持分権)を有することを確認する、訴訟費用は被告の負担とする。

(予備的請求)

被告は原告らに対し、別紙目録記載の各物件につき、各一五分の二の持分権の移転登記手続をせよ、訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、原告ら

(請求原因)

(一) 原、被告らの父亡時田松男は、昭和二四年八月二三日死亡し、その相続人は、同人の、妻訴外時田清子、二男被告、三男原告時田芳夫、四男亡時田雄吉の長女原告時田宏子、二女原告山崎愛子、三女原告広瀬澄子である。したがつて、原告らは松男の遺産につき各一五分の二の相続分を有するものである。

(二) ところで、別紙目録記載の各物件(以下本件物件という。)は松男が死亡当時所有していたものである(ただし、本件物件中の(一二)(一三)は、被告が建築したものであるが、右は被告が松男の死後その遺産を処分して建築したものであるから、当然松男の遺産の代位物として、これに含まれるものである。)から、原告らは相続により右各物件につき各一五分の二の持分権を取得した。

(三) しかるに、被告は原告らの前記相続を争い、本件物件につき被告のため所有権移転あるいは所有権保存の各登記が経由されているので、被告に対し、第一次的に原告らが松男の遺産につき各一五分の二の相続分(持分権)を有することの確認を、予備的に原告らに本件物件につき各一五分の二の持分権移転登記手続を求める。

(抗弁に対する答弁)

抗弁事実中、被告主張のような登記がなされていることは認めるが、その他の点はすべて否認する。

原告らはいずれも被告主張の遺産分割協議に参加したことはない。すなわち、原告芳夫は、昭和二七年六、七月頃、被告から、同原告が松男からその生前贈与を受けていた船橋市○町○丁目○○○○番の○宅地一〇九・六五平方メートル(三三坪一合七勺)につき、同原告に対する所有権移転登記手続をするため必要だと言われたので印鑑を被告に貸し与えたことはあるけれども、遺産分割協議に参加したことのないのはもとより、同協議書作成に関与したこともなく、同原告が右の遺産分割協議書(甲第一号証の一)の作成されているということを知つたのは、昭和三八年二月二四日、同原告の長男訴外一美が千葉地方法務局船橋出張所において遺産調査をした際これを発見し、その報告を受けた時が最初であり、また、原告宏子は、昭和二七年六、七月頃当時の親権者であつた母訴外上田(当時は時田)京子がその実弟訴外原崇から、被告が競輪に失敗して非常に困ており、どうしても京子の印鑑と印鑑証明書が欲しい、と言つている旨の連絡を受けたので、京子は未だ松男の死亡したことも、したがつてその遺産相続のことも知らずに、亡夫時田雄吉が松男からその生前贈与を受けていた船橋市の土地を被告が欲しがつているものと思い、その印鑑と印鑑証明書を原に送つたことがあり、原告愛子、同澄子は、その頃被告から同人の相続のため印鑑などが必要だから貸して欲しい、と言われて、自分に相続権のあることを知らず、当然長子相続が行なわれるものと誤解し、被告が松男の全遺産を相続することになんの疑惑も持たず、原告愛子はその印鑑を、同澄子はその印鑑と印鑑証明書をその頃被告に貸し与えたことがあるけれども、原告宏子親権者京子、原告愛子、同澄子はいずれも原告芳夫と同様遺産分割協議に参加したことはなく、分割協議書(甲第一号証の一)作成に関与したこともない。そしてまた、原告らはいずれも本訴提起直前までその相続権の侵害を受けていることを知らなかつたものであるから、もとより相続回復請求権の時効は完成していないものである。

(再抗弁)

(一) 被告主張の贈与があつたとするならば、右は書面によらないものであるから、原告らは昭和四一年三月八日の本訴第一五回口頭弁論期日において松男の相続人として右贈与を取り消す旨の意思表示をなした。

(二) 仮に被告主張の遺産分割協議がなされたとするならば、右協議は次のような理由により無効である。すなわち、

1、被告主張の遺産分割協議は、民法第九〇〇条および第九〇六条に違反する。遺産の分割は同法第九〇〇条所定の各相続人の相続分に応じ、同法第九〇六条所定の標準に準拠してなすべきであり、その際各相続人は遺産分割について十分その意見を述べる機会を与えられなければならないものであるところ、原告らは被告から遺産分割についてなんら具体的な申出を受けておらず、遺産分割についての協議は各相続人間において全くなされなかつたばかりでなく、松男の遺産を原告芳夫を除く原告らにおいて全く取得しないことになつている。そして、右において原告芳夫が取得するものとされている船橋市○町○丁目○○○○番の○の宅地は、前記のように同原告が松男からその生前に贈与を受けたものであつて、松男の遺産には含まれないものである。かかる遺産分割協議は民法第九〇〇条所定の各相続人の相続分を全く無視し、同法第九〇六条所定の標準に準拠していないものである。

2、被告主張の遺産分割協議は双方代理によつてなされたものである。遺産分割協議は一種の契約であるから、民法第一〇八条の規定の適用を当然受けるべきところ、被告主張の遺産分割協議は被告が、共同相続人である原告らの代理人として松男の遺産分割の協議をなし、その旨の協議書を作成しているので、右は直接民法第一〇八条によつて禁止するところの双方代理に該当するものである。

3、被告主張の遺産分割協議には要素の錯誤がある。もし原告らが被告主張の遺産分割協議のなされた昭和二七年七月八日当時、松男の遺産が本件物件を含む莫大な額のものであることを知つていたならば、原告らはその殆んどを被告に取得させるような右協議をするはずはなかつたものである。

原告らはそのことを当時全く知らなかつたものであり、右は遺産分割協議については法律行為の重要な部分に当るものであるから、右遺産分割協議は要素に錯誤があつたものである。

4、被告主張の遺産分割協議は、松男の遺産全部についてのものではないから、民法第九〇六条に違反する。同法条によれば、遺産の分割は遺産に属する物または権利の種類および性質、各相続人の職業その他一切の事情を考慮してなされなければならないこととされているが、被告主張の遺産分割協議は松男の遺産のうち不動産についてのみなされ、他の遺産についてはこれがなされていない。かくては、右法条に従つた遺産分割協議をすることはできないこととなるので、右遺産分割協議は同法条に違反するものである。

(再々抗弁に対する答弁)

再々抗弁事実は否認する。

二、被告

(請求原因に対する答弁)

(一) 請求原因第一項の事実中、原告らが松男の遺産につき各一五分の二の相続分を有するとの点を否認し、その他の点は認める。

(二) 同第二項の事実中、本件物件中の(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)をかつて松男が所有していたことおよび本件物件中の(一二)、(一三)を被告が建築したことは認めるが、その他の点は否認する。

本件物件中の(三)、(四)、(七)、(八)は、被告が昭和三四年四月頃交換により取得したものであり、同(一二)は、被告が昭和三七年一二月に、同(一三)は、被告が昭和三五、六年頃に、同(一四)は、被告が昭和三三年一二月頃にそれぞれ建築したものである。

(三) 同第三項の事実中、被告が原告らの相続を争い、本件物件につき被告のたあ所有権移転あるいは所有権保存の名登記が経由されていることはいずれも認める。

(抗弁)

(一) 被告は、戸籍上松男の二男となつているが、長男が幼時に死亡したので実際上は長男として、松男とともに農業に従事していたものであるが、昭和一六年頃、松男が当時所有していた本件物件中の(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)を含む全財産を被告に贈与し債務も引き受けさせて事実上隠居したため、以来被告が主となつて農業を営んで来た。このように松男は被告に対しその所有する全財産を贈与し、被告がこれを取得したものであるから、松男が死亡当時所有していた財産はなかつたのである。ただ、その旨の所有権移転登記手続は、税金などの関係から昭和二三年四月二一日その一部分についてだけなし、その他の部分についてはこれをしない間に松男が死亡したので、便宜遺産分割という方法をとつたものである。

(二) 仮に右贈与が認められないとしても、原告ら(原告宏子については親権者京子)と被告との松男の全相続人間において、昭和二七年七月八日次のような内容の遺産分割協議が成立した。すなわち、本件物件中の(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)を含む松男が死亡当時所有していた全不動産のうち、船橋市○町○丁目○○○○番の○宅地一〇九・六五平方メートル(三三坪一合七勺)を原告芳夫が、その他はすべて被告が取得し、松男の妻清子は、将来に亘り生活費その他を被告において負担することとして右分割を承認し、原告宏子、同愛子、同澄子は、既に相続分相当額の贈与を受けているので右分割を承認する、との内容の右協議が成立し、その旨記載した遺産分割協議書(甲第一号証の一)に各自捺印した(ただし、原告芳夫については、その承諾のもとに妻訴外時田洋子が捺印し、原告宏子は当時未成年であり、親権者上田京子が北海道にいたので、その姉訴外三沢邦子が右京子の承諾を得て京子の印を代つて押捺した。)。したがつて、松男の死亡当時所有していた全不動産については、うち原告芳夫が取得した右土地を除き、その他はすべて被告が取得したものである。

(三) 原告らの本訴請求は相続回復の請求であるところ、右請求権は既に時効により消滅しているので、被告は右時効の利益を援用する。すなわち、原告芳夫、同愛子、同澄子は松男の死亡直後右死亡の事実を知り、原告宏子の親権者であつた上田京子は昭和二六、七年当時には右事実を知り、かつ原告ら(宏子親権者京子を含む。)は昭和二七年当時いずれも原告ら各自に相続権のあることを知つていたものであり、さらに同人らは右当時被告が松男の遺産の殆んどを被告名義としたことを知つていたものであるから、それから五年を経過することにより原告らの相続回復請求権は時効により消滅したものである。

(再抗弁に対する答弁)

再抗弁事実中(一)の点は認めるが、その他はすべてこれを否認する。

(一) 前記遺産分割協議は、民法第九〇〇条および第九〇六条に違反するものではない。すなわち、前記のように、原告は松男の跡を継いで時田家の家業である農業に長年従事して来たものであり、右遺産分割協議当時においても農業を継続して行く状態にあり、また原告らの結婚やその生活については被告と松男がこれを援助していた事情からすれば、右遺産分割協議が民法第九〇〇条および第九〇六条に違反するということはない。

仮に右遺産分割協議が同法条に違反するとしてもこれを無効ということはできない。すなわち、遺産の分割は同法条に従つてなすべきものではあつても、各相続人の相続分に応じた分割がなされることは実際上極めて稀であり、また現実には不可能なことである。遺産分割協議は要するに協議が成立すれば、錯誤、詐欺、脅迫などの瑕疵のないかぎり有効なものである。

(二) 前記遺産分割協議は双方代理によつてなされたものではない。すなわち、被告は原告らから遺産分割について個別的に承諾を得たものであつて、原告らを代理したものではない。

(三) 原告らは前記遺産分割協議書の内容を知つていたので、これにつき要素の錯誤があるとはいえない。仮に原告らが松男の遺産の詳細を知らなかつたとしても、遺産として相当数の物件のあることを当時知つていたものであるから要素の錯誤はない。

(四) 遺産の一部についての分割は、理論的にも実際上の必要性からも肯定されているので有効である。

(再々抗弁)

(一) 前記のように、被告は松男から昭和一六年頃その所有する全財産の贈与を受けたが、その頃その引渡しをも受けていたので、原告らはもはや右贈与の取消しをなし得ないものである。

(二) 仮に原告らに前記遺産分割協議につき要素の錯誤があつたとしても、原告らに重大な過失があつたので、原告らはその無効を主張し得ない。

第三、証拠関係

一、原告ら

甲第一号証の一ないし五を提出し、甲第一号証の一は被告主張の遺産分割協議書であるが、そのうちの被告時田正夫、訴外時田清子の作成部分は同人らが各作成したものであり、原告ら名下の各印影はいずれも原告ら(ただし原告宏子については未成年につき親権者時田京子)の印章によりそれぞれ顕出されたものであるが、書面上原告らが作成した形式になつている部分はいずれも被告が右原告らの印を冒用してほしいままに作成したものである、

証人上田京子、同時田洋子、同時田一美、同原崇、同谷合静雄、同三沢邦子、同時田清子、同山崎愛子、同広瀬澄子(ただし、山崎、広瀬については、同人らの本訴提起前に証人として取り調べられたものである。)の各証言、原告本人尋問の結果を援用、

乙号各証の成立をいずれも認める。

二、被告

乙第一ないし第二六号証を提出、

証人目黒昭夫、同時田文子、同時田清子の各証言、被告本人尋問の結果を援用、

甲第一号証の一が被告主張の遺産分割協議書であり、そのうちの被告および訴外時田清子の作成部分の成立および原告ら名下の各印影がいずれも原告ら(ただし原告宏子については親権者時田京子)の印章によりそれぞれ顕出されたものであることを認め、書面上原告らが作成した形式になつている部分が被告において作成したとの点を否認する。右部分は原告らが作成したものである、その他の甲号各証の成立を認める。

理由

(第一次的請求に対する判断)

一、原、被告らの父亡時田松男か昭和二四年八月二三日死亡し、その相続人が、同人の、妻時田清子、二男被告、三男原告芳夫、四男亡時田雄吉の長女原告宏子、二女原告愛子、三女原告澄子であること、松男がかつて本件物件中の(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)を所有していたこと、本件物件中の(一二)、(一三)を被告が建築したことおよび本件物件につき被告のため所有権移転あるいは所有権保存の各登記が経由されていることは当事者間に争いがない。

二、被告は、昭和一六年頃松男からその所有する本件物件中の(一)、(二)、(五)、(六)、(九)、(一〇)、(一一)を含む全財産の贈与を受けたので、松男の遺産は存在しない、と主張し、証人時田文子、同時田清子の各証言および被告本人尋問の結果中には右主張に副う趣旨の部分があるが、右の各証拠だけで右被告主張事実を肯認するに十分といえないばかりでなく、右の各証拠は、後に判示するように被告が遺産分割協議書(甲第一号証の一)を作成していることおよび証人目黒昭夫、同広瀬澄子、同山崎愛子の各証言、原告時田芳夫本人尋問の結果と対比するとたやすく信用することができず、他に右被告主張事実を肯認するに足る適当な証拠がない。よつて、被告の右主張は採用することができない。

三、被告は、原告らと被告を含む松男の全相続人間において、昭和二七年七月八日遺産分割協議が成立した、と主張する。ところで、被告は、右分割協議成立の結果原告らと被告とで遺産分割協議書(甲第一号証の一)を作成したと主張し、原告らは右作成者を争うので、この甲第一号証の一の成否が右抗弁の認定資料として重要であるから、まずこの点につき検討することとする。右甲第一号証の一中、被告および訴外時田清子作成部分および原告ら名下の各印影がいずれも原告ら(ただし原告宏子については親権者時田京子)の印章により顕出されたことは当事者間に争いがないけれども、同印影が右原告らの意思に基づき押捺されたとの点については、証人時田清子の証言および被告本人尋問の結果中右趣旨に副う部分が後記証拠との対照上信用し難く、他にこれを認めるに足りる適当な証拠がなく、かえつて、証人時田一美、同三沢邦子、同原崇、同上田京子、同広瀬澄子、同山崎愛子、同時田洋子の各証言および原告時田芳夫本人尋問の結果によれば、右原告らの印影は、被告が原告らに遺産分割協議および同協議書作成のことを告げず、他の理由を設けて原告らからその印章を借り受けて押捺したことによるものであつて、甲第一号証の一中の書面上原告らが作成した形式になつている部分は原告らが作成したものではなく、被告が原告らの同意をうけることなく作成したものであることを認めることができる。したがつて、右部分を被告が作成したとして原告らが提出した甲第一号証の一はこの意味において本訴においては真正に成立したものと認むべきである。

そしてまた、被告の遺産分割協議成立の主張については、証人目黒昭夫、同時田清子、同時田文子の各証言および被告本人尋問の結果中右主張に副う部分が後記証拠との対照上信用し難く、他にこれを認めるに足る適当の証拠がなく、かえつて、右甲第一号証中の一、証人上田京子、同広瀬澄子、同山崎愛子、同時田洋子の各証言および原告時田芳夫本人尋問の結果を総合すると、原告らと被告とが遺産分割の協議をなし、その間に被告主張のような協議が成立したということがなかつたことを認めることができる。

四、被告は、原告芳夫、同愛子、同澄子は松男の死亡直後右死亡の事実を知り、原告宏子の親権者であつた上田京子は昭和二六、七年当時には右事実を知り、かつ原告ら(宏子親権者京子を含む。)はいずれも昭和二七年当時原告ら各自に相続権のあることを知つていたものであり、さらに同人らは右当時被告が松男の遺産の殆んどを被告名義としたことを知つていたので、それから五年を経過することにより原告らの相続回復請求権は時効により消滅した、と主張するけれども、右主張事実は、原告芳夫、同愛子、同澄子が松男の死亡直後右死亡の事実を知つていたとの点を除きこれを認めるに足る適当な証拠がなく、かえつて、証人時田一美、同上田京子、同広瀬澄子、同山崎愛子、同時田洋子の各証言、原告時田芳夫本人尋問の結果によると、原告芳夫、同愛子、同澄子は昭和二七年当時自分に相続権のあることを知らなかつたばかりでなく、その後も本訴提起直前に至るまでこれを知らなかつたこと、上田京子は松男が死亡したことを昭和三四、五年頃になつてはじめて聞知したものであることを認めることができる。ところで、相続回復論求権の時効の起算点は相続人が相続権を侵害されたことを知つた時であり、以後五年の経過によつて右時効が完成するものであるが、右相続権侵害を知るとは、本件のように相続人が多数いる場合は、相続人(法定代理人を含む。)が自分も相続人の一人であることを知り、それにもかかわらず自分が相続から除外されていることを知ることであると解すべきところ、本件においては前記認定のように、原告芳夫、同愛子、同澄子は本訴提起直前まで自分に相続権のあることを知らなかつたものであり、また原告宏子親権者時田京子は昭和三四、五年頃にはじめて松男の死亡の事実を知つたものであつて、しかも右京子が松男の遺産の被告名義に移つたことをいつ知つたかについてはこれを認むべき証拠はないのであるから、結局本訴提起の五年を超える前に原告ら(宏子親権者を含む。)が相続権を侵害されたことを知つたことを認めることはできず、したがつて、被告の右時効の抗弁は採用することができない。

五、以上によれば、原告らはいずれも松男の遺産につき各一五分の二の相続分(持分権)を有しているものということができるけれども、さらに判断を進めて松男の遺産の範囲を確定することなく、これにつき原告らがそれぞれ各一五分の二の相続分(持分権)を有することの確認を求めることが許されるかどうかについては理論上争いの存するところであるが、当裁判所はかかる請求も相手がこれを争う限り、許容すべきものと解し、原告らの本訴第一次的請求は理由があるものとする。

六、以上の次第で、原告らの本訴第一次的請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀部勇二 裁判官 渡辺昭 片岡安夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例